会津荒海駅
この記事は、最終更新日よりおよそ 3 年 9 ヶ月経過しています。 公式サイトなどで最新情報を確認してください。(最終更新:2020年7月) |
地図を読み込み中... | |
管轄 | 会津鉄道 |
---|---|
配線 | 2面2線 |
× 無人駅 | |
× 車内で整理券を取って下車時精算 | |
○ | |
会津バス桧枝岐線「会津荒海駅前」(歩3分、1日6本) | |
会津田島駅付近から呼出(会津交通 0241-62-1244、田島タクシー 0241-62-1130、祗園タクシー 0241-62-0074) | |
× | |
× | |
× | |
○ | |
× | |
ドコモ au SB(2019年11月) | |
▶会津荒海駅 |
会津荒海駅(あいづあらかいえき)は、福島県南会津郡南会津町にある会津鉄道会津線の駅。
駅周辺
駅舎は事務室や出改札窓口(使われてはいない)を備えた比較的大きなものが残っており、ラッチも残っている。「海」から連想したのか薄青色に塗られており、とんがり屋根の時計塔が印象的。
駅舎の外側には「関本農産品直売所」の看板が出ているが、いつ開いているのか不明(2010年頃の話だが、土日の9時から営業しているという情報があった)。 昔はここに農協の支店が入っていたそうだ。駅舎の脇にJAのATMが設置されているのは、その名残なのだろう。
駅間は田んぼが広がるのどかな風景だが、駅の周りには民家が建ち並び、少し大きめの集落になっている。荒海地区の中心で、会津線沿線では最後の大きめの集落。
郵便局の少し先に会津田島のきのこ屋(会津物産)があり、直売もしている(会津田島駅の売店でも購入できる)。この辺りは山菜・きのこ採りが盛んなのだろう。
荒海
国鉄会津線時代、当駅は「荒海駅」だったが、会津鉄道へ転換に際し「会津」を冠した現駅名に改称された。違和感はないが、わざわざ改称した意図は不明。
駅周辺は関本集落だが、荒海地区と呼ばれるのは、1947年に当駅が開業した頃は荒海村だったから。当駅はもちろん、郵便局や小中学校も立地している、この辺りが中心地がだったのだろう。駅前を少し歩くと、その風格が残っているような気がする。
明治の町村制施行に際して荒海地域の村々が合併した際、この地域を象徴する荒海山と、その麓から流れる阿賀川(大川)が「荒海川」と呼ばれていたことから、この地名になったとか。
その後、1955年に合併して田島町になった(さらに2006年に合併して現在の南会津町になった)。
御蔵入り天領の詩
当駅の駅名標には「
「御蔵入り」とは、江戸時代に南会津地域が天領(幕府直轄領)であったことを表している。現在の南会津郡の全域と、大沼郡の大半、河沼郡柳津あたりまでが含まれるようだ。その代官陣屋が田島に置かれていたという。
江戸時代は年貢を米で納めるのが基本になっていたが、稲作ができない山間地では例外的に現金で納めることも認められていた。しかし当時の幕府は米で納めることを強制し、不作の年にも例年通りの年貢米を要求する、雑穀に対しても新たに年貢を課すなど、農民への負担が増し困窮していたため、米納強制への反対や年貢の負担軽減などを幕府に直訴したという。
1720年の「南山御蔵入騒動」は2年に及び、直訴した者や指導者とされる名主・農民は死罪に処されたが、これまで幕府直轄下にあった南山御蔵入を会津藩への預け支配に切り替える形で、農民の申し入れは間接的に聞き入れられたという。
「天領」は明治以降の俗称なので、当時は専ら「御蔵入り」と呼ばれていたのだろう。しかし筆者は寡聞にも幕府直轄領を「御蔵入り」と呼んでいる地域を会津以外に知らない。南会津や奥会津では今も「御蔵入り」と名付けた商品を見かけるが、会津ならではの呼称なのかもしれない。
参考リンク
会津荒海 | |||
あいづあらかい Aizu-Arakai | |||
(福島県南会津郡南会津町) | |||
中荒井 Naka-Arai | Aizu-Sanson-Dōjō 会津山村道場 |